レポ・答えは決まってる?
ワークショップの会場として使用している一軒家は障害のある方や生きにくさをかかえる方の相談や就労支援をしている特定非営利活動法人コンチェルティーノ様の事務所です。
そのリビングが親子サロンすこっぷ様、そこをまた私が積み木の時にお借りする形になっています。
週末のワークショップがおわり片付けをしていると、コンチェルティーノさんとの面談を待っていた方が「積み木がたくさん!たのしそうだね~!」と。
その素直な一声に嬉しくなって「やってみませんか?」とお誘いすると....「やりたいけどなぁ」「でもなぁ、菱形をつくるにはどうしますか?とか聞かれると分からないから...」と。
思いもよらないお返事!
積み木遊びってそんなこと聞かれそうなイメージ?
正解を求められるという経験が遊ぶことに対して歯止めをかけているならば払拭しなくては!
すこし間をあけて積み木を置いて、その隙間にまた積み木を積んでいきます。
正解を求められるという経験が遊ぶことに対して歯止めをかけているならば払拭しなくては!
すこし間をあけて積み木を置いて、その隙間にまた積み木を積んでいきます。
どんどん高くなる積み木に「すごいすごい、こんなのできちゃったよ」とお喋りしながら。
本当に気持ちの表現が素直で言葉もストレートなのです。「こわしたくないなぁ、もったいないなぁ」とおっしゃるのでそのままに。
冒頭の写真「小さなお山」です。
「自由に手を動かしてみれば自分なりの答えが見つかる」ということを感じていただけたかなぁ。「小さなお山」はその応えのような気もしてちょっと嬉しくなりました。
思えば私が幼い頃受けた教育も正しい答えを求められるものでした。
正解を導き出せたときの喜びや達成感がある一方で答えられないときの緊張感やかすかに自信を喪失する感覚...。答えが○でもば✖️でも正解までの過程を面白いと思えるかどうかが達成感を感じられる鍵のように思います。
今の小学校は昔に比べ調べ学習やグループワーク、人前でのプレゼンも多く授業も様変わりしたなぁと思います。幼いころはプロセスを存分に楽しんで自分で出した答えに自信をもつ経験をたくさんしてほしいなと思います。
0コメント